LOVE CARD

夜が明ける。

仲間の「夏に離婚しました」というブログを見て感じた。

わたしも、親が離婚した身なので
自分も同じ目に合わせるなんて・・・

子どもへの罪悪感は半端なかったし、
これが最良なのか?と悩んだし、
ワガママなんじゃないのか?と自分をかなり責めた。

これまでをそんなに簡単に捨てちゃうの?とも。
次男坊と娘にはかなり言われちゃったしね( TДT)

でも、長男は
「母さん、俺は母さんの子に生まれてよかったよ。ありがとう」

そして
「父さんも母さんも俺たちへの愛情はまったく変わっていない。
だから気にしなくていい。
好きに生きたらいい。
合わないのに無理して一緒にいる必要はない」と言った。

何年もの間、その言葉に救われてきた。

今は罪悪感はない。
自分を戒めてもいない。

罪悪感をもつことは、自分を留めたいためだった、と思う。
自分を責めている間は、目の前の事実(子ども達)を見ずに
どれだけ自分が不幸なのかを嘆いていただけだった。

そして
子ども達を不幸だと決めつけていたのもわたしだった。

子ども達は毎日笑っていたし、
環境の変化にも柔軟で、強くて、
なんだかんだ言っても、わたしを信頼し、未来を見つめていた。

今も未来も見ていなかったのは
わたしだった。

わたしにも相手にも
子ども達にも可能性があって
それを信じられてなかったのは、わたしだったのよね。

留まるってそういうこと。

関わり合ったみんなの
幸せになるチカラを信じたらいいだけの話だったと
今なら思うのよねぇ

暗闇に堕ちることは悪くない。

見つめ続け、居続け、
逃げずにいたら
必ず光が見えてくる。

光を見つけた自分で
歩いていくと
自分への信頼を取り戻せる。

嘆きで不幸を背負って生きるのではなく、ね。
これ↑も、やり続けたら 同じパターンばかりに飽きてくるんだよね。

そして
わたしってこれっぽっちの人間なのか?
他にできること、あるんじゃないか?
いつまで落ち込んでばかりなの?

ってか、
ずっとそれって、、、

自分の命をムダにしてない?
自分で自分をおとしめてるのに
誰があなたを大事にするの?

と、ムクムクとわいてもきた。

わたしは子ども達に
自分をおとしめていく姿、世の中の常識に潰れる姿を見せてるじゃん!
客観的に見えた自分にサヨナラしようと思えた。

今朝、夜が明ける空を
次男坊と娘と見ていて
「キレイだね♡」とふたりの見ている先を感じて、感動した。

感じる心を大切にしてる。

なんとも感慨深かったというか
この子たちは、ほんっとに授かりもので
わたしが勇気を取り戻すために、神さまが贈ってくれたんじゃないかな、
やっぱり思った。

授かった命に
わたしができることを探せばいい。

我慢や常識ではなく、
わたしは、
どんな時も希望を失わないことを見せる!と朝日に誓った。




♦INFORMATION♦︎

《一番大切にしたいことを一番大切に》


《本音で心の扉を開く》





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