自分の力以外のもので 何かを動かせることはない。

わたしの転機ポイント=つまらない。

なにかしら「滞り」を感じ始めると、心の隅にそれらをとりあえず置いておく。その「滞り」がある時に洪水のように溢れ出しそうに感じると、わたしは動き出す。

思えばわたしは、人生がとんでもなく変わるような出来事を予想外に起こすと言われてきたが、ずっとずっと感じてやっていた。「そろそろくるよ、洪水が」と。

何も感じない忙殺された日々を過ごす方が変だって、小さい頃から思っていたけれど、忙しすぎて大人は耳を貸してくれない。子どもの言っていることの方が変と言えば、周りはそれらの言葉のほうを信じるだろう。

だからわたしは「また突然言い出した」、「いつも相談なし」、「勝手に動く」、「石橋を叩いて渡って」、、、等とその度に言われ続けた。

いつしかわたしは、『自分が』つまらなさを感じる前にその場から飛び出すことを繰り返していた。滞っているところにいられなくて。

いや、正確に言うと
光を見出したから動いた、だな。

そのような行動を「わたしから離れた」とか「寂しい」、「嫌われた」とか言われることも既に昔から慣れていて、誰のせいとか、何が悪いとか、そういうことではなく(出来事は起こるが)、滞りを流したくなるだけなのだ。

今は意味不明でも、理解は後で必ずやってくる。

   

  

幼少時、家の前に川があった。
川とともに過ごしてきたわたしは、川の水が雨で溢れたり、流れてくるもので流れが変わったり、自然なものと不自然なもの、それらがどこで止まり、どんな影響を与えるか、などをなんとなくずっと見ていた。

自分も川に入り、川とともに遊んだ。
何年か前に、その川を見に行ったことがある。

驚いたのはその辺りの風景が全然変わっていなかったこと。
川も穏やかなままだった。

わたしは、起こる出来事や人間関係の中に、川のような流れを見出しているのだと思う。

わたしにとって「つまらない」は、つまんないって言いたいんじゃなくて
「流れがつまらない」ということなんだよね。

  

世の中で素敵と言われていること、幸せだと思われていること、美しいと称賛されていること、憧れの人や成功等の 「光の強さ」は素晴らしい。

それだけ光が強いということは「闇も深く」て、それらのどちらをも自覚しているからこそ、その人は輝いているのだとわたしは思う。

どちらもあることを知っている=つまりがない

わたしにとっての「つまらない」は、自分の幸せ、自分の美しさ、自分の成功、自分の光を、喜びの中でも忙しい中でも苦しみの「闇の中」でも
どんなときでも自分を自分で尊び、愛し続けることから離れないこと。

自分の力以外のもので 何かを動かせることはない。

そう思っている。
 
 

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