主語を自分にできない最初の壁。

今朝、娘が「学校を休みたい」と言った。

これまで自分に向いていた嫌がらせの矛先が
部活を辞めたことによって
仲の良かった友達に向いたそうで

わたしが(仲の良い友達を)傷つけることになってしまった

と泣いて言っていた。

いやいや
根本が違うでしょとわたしは思った。

嫌がらせをしている子たち、
それに振り回される娘、
どちらにも同じ気持ちが潜んであるな、と。

わたしは過去に
いじめられた経験はある。

ある程度までは流したけれど
これ以上は断固として譲れない!という気持ちになったとき
(「もうないな、限界」と思ったら)
物申すタイプだった。

先生に説得されても
ありえないことはありえない!と意志を変えず。

言わなければ物事は変化していかないし、
真実は事実の先にあるのだから
誰かを思って、とか かばっていることは事実ではないこともある。

意志を貫く根底には
人としての尊厳を揺るがすなら
自分の人生に必要はない、という気持ちがある。

正直娘には、
自分の尊厳を揺るがす人を受け入れてしまうところがある
と感じる。

それは優しさでもあるだろうが
弱さでもある。
年齢的にぶつかる壁だとも。

傷つけることになってしまった
ではなく
わたしがとても傷ついている!
言えるようになればいいなと思うし、そう話した。

主語を自分にすることを。

優しさを持つ人は
他人との境界線が曖昧で
自分が傷つくのは大丈夫、としている場合もある。

それは「いい人」でいたいため、
本当は 仲良くしたい、好きでいてほしい ためで・・・

でもそれは伝わらない。
良いように使われるだけにもなる。

自分を尊重してはじめて
相手を尊重するということがわかる。

娘は
「友達を守りたい」とも言った。

ぐらぐらな人が誰かを守るなんてことはできない。

今は自分を大切にして
自分を守るときだよ、と伝えたが。。。

次男坊がそれらを自覚したのは、中学3年。
長男は高校2年。

娘は中1から、なんだかんだと揺らぐところをみると
女性の感受性の豊かさを感じもするが

同時に
豊かさを育むには
自分への尊厳は必須なのだとも思う。

人としてのベース。
命があるということは、自分を尊ぶこと。

さてさて。

目の前で起こることには自分へのメッセージがある。

「わたしは今、自分を大切にしているだろうか?」

YES

即答できるからOK!

だとすると
わたしがやることは
目の前にいる人に伝える、だ。

娘に、根気よく、愛からの言葉で伝えよう♡

自然なままの自分でいるのがいちばん大事だと。

つくった自分で関係はうまくいっても、
楽しくないし、いつか苦しくなる。

いつもの自分でいいって
自然で、なんて楽なんだ!ってことを。

 

早速、先生から電話があった。
お互いに知っている事実を伝え合った。

ここでいらないのは
感情的になること。
誰かを責めてどうにかなるものじゃない。

先生も感じてくれていることは同じ。
感謝だなー




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