LOVE CARD

引きこもり宣言!

結局、わたしの魂の声ってどれなんだろう?
そんな風に思ってきた2018年。


本当に、本当にワクワクすること。

それらを
ひとつも逃さずに感じるよう、
全神経を注いできた。

「引きこもる!」なんて
あえて言葉にすることはなかったが
もう、自分が心から望むところにしか行きたくない、
行けない。


そんな風になっていた。

わたしは好奇心旺盛。
それは幼少の頃からで、人と違う方向を向いているのは常。

それらを「協調性がない」「女として最悪」と
言われるようになってから
人と合わせる、同じ位置で揃える、ということも
社会性として覚えた。


でも、人生も折り返しに入る。


自分のための体験を増やすことはやると思うけれど
限りある時間を
引きこもって本を読んだり、
好奇心がわくところに流れたり、
子どもがまだ家にいる 多分あと僅かであろう時間も大切にしたい。


講師活動も年に1,2回に決めて
あとは様々な発信で世の中と繋がることに専念したいと思います。


それがいちばん楽しくて、
わたしらしい生き方だと心から思うから。
(もちろん仕事はやるけれど)


もともと、「教える」というよりは
つながり合い、深く知り合うことに
ワクワクを感じるタイプ。
 
ひとつのことに全身全霊を注いで創っていくこと

好き。

「雅美は元気だからいい」と
母は口癖のように言ってたけれど、
それは、好きなことに没頭しているわたしを
いちばん理解して言っていたのだと今はとても感じます。


という「引きこもり宣言!」

誰かに宣言する必要なんてないけれど
これは自分に、、、です。


母が亡くなったあと
わたしは自律神経失調症になり
全身湿疹で体中が腫れ、ただれ、
咳も止まらず肋にはヒビが。


病院に行っても原因不明、
薬は効かず、

「確実にメンタルが弱ってる」と
確信していたので
心理学を深めてみた。


最終的に
いつも子ども達をお任せしている
街のお医者さんのところに行って治るのだけど


「きつかったでしょ。今まで
よくやってきたね。」

その先生の寄り添いの一言がわたしをゆるませてくれた。
周りは、腫れ物に触るように接していたことも知った。
(そうさせたのはわたしで)


どうしたらいいのだろう?
そう思うときに必ず相談してきた人が母だった。

拠り所だった人を失くして
わたしの心は無気力の塊(かたまり)のように固くなっていたんだと。

 
母を亡くしたとき
子ども達の無邪気さに救われた。
 
人が全身全霊で生きることの素晴らしさを感じて
わたしの塊(かたまり)が解けて温まったことを覚えている。
 


わたしのワクワクには
無邪気さ必須。

心理学を深める中で、
カウンセラーに
「うんうん、わかります」と言われることが増えた。

だんだんその言葉に腹が立っていたのは事実。

何をわかってるんだよ?と
心で悪態をついている自分がいたから
カウンセリングはやめた。

寄り添いって
言葉で聴くものじゃなく
感じ取るものだね。


生きるって、
ままならないことが起きるってこと。

真面目に徳を積んだ人が
長生きすると決まっているワケでもないのに

わたしは勝手に
「お母さんは神さまに長生きのお返しをいただける」と
考えていた。


人って自分で捉え方を決めて
自分で自分を幸せにしたり、不幸におとしいれたりする。

だけど、
それでいい。
可も不可もなく。

闇のように感じる中で
悪態をつく自分もゆるしながら

互いに寄り添い合える人を探したり、
心からの本音で生きることを
自分に与えていく術を身に着ける道が人生なんだな、と。

まだまだ
分かっちゃいませんが。


今年はいろんなことを削ぎ落としました。


思考も、人の関係も、物質的なものも
食べ方も、お金の使い方も。

料理の味付けと同じで
シンプルな方が
より素材の旨味を味わえる。


素材そのものを感じきることが
わたしの好奇心を揺さぶることも
よぉーーーく、分かりました。
 

心理を用いる必要も
統計学を用いられる必要も
わたしにはなく。


そんな自分に還ります。


「りんごろ見かけないね」と思うときほど
もしかしたらめちゃくちゃ生きてるときかもしれません!

が、どんなカタチであれ
発信でつながることができたら嬉しいです。




♦INFORMATION♦︎

《一番大切にしたいことを一番大切に》


《本音で心の扉を開く》





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