「初心を貫く」ことが素晴らしいとは限らない

筋を通す初志貫徹する自分を貫く、
志をまっとうする、
ことを
わたしは良いことだと思ってきた節がある。

母が亡くなったとき
「誰にも迷惑をかけたくない」と口にしていた通り
本当にすべてを片づけてあちらに行った母を
すごいと思ったし、
自分を貫いたとも思ったけれど、

正直、寂しかった。

何かできることがあるなら
少しだけでもしたかったし、もっと関わり合いたかった。

そして、
わたしも母のように生きたいか?と聞かれたら
「わたしにはできない」と答えるだろう。

母は、
それらを教えてくれたんじゃないかと
今なら思う。

何かの志を目指している過程で
自分が成長していけば
最初の志が変わることもある。

それでも「最初に志したから」と
無理に自分を頑張らせることは
執着じゃないかと思うのだ。

志を純粋に思い、精進していれば
流れはやってくる。

が、「最初の志とは違う」と流れに逆らえば
無理に自分を頑張らせるところで生きてしまうように思う。

そして
最初の志 と 今の志 では
自分の成長具合によって差はあるだろう。
(ない場合もある)

今の位置だから、感じられることがある。

これは変えられないという考え方が
少しでもズレない時というのは
心から大切なこと、価値観なのかもしれない。

が、

今の自分だから感じられることがある場合は
初心は貫かなくてもいいのかもしれない。

筋も通さなくていい。

素敵なことは、筋を通す必要がない?

そんな風に思うようになってからは
どっちでもいい。
あるべきところには収まる

幸せや望むところへの辿りつき方には
いろんな道があるのだと感じるようになった。

これじゃなきゃ!と執着するより
起きることからの自分へのメッセージを探す方が
わたしには向いていて
とてもワクワクする。

亡くなった人の声が聞ける方に
母の言葉を伝えられたことがある。

母は
「生きている間は(わたしを思う余り、心配で)言えなかったけれど
今は好きに生きなさい、と言いたい。

わたしは常識通り、親の望む通りに生きたけれど
この流れを「わたし」が全うしたことで終えたい。

だからこそ、
娘のあなたが流れを変えなさい。
必ず見守るから」

と、その方は言っていた。
母の生き方を知らないはずなのにね!

これも信じるかどうかは
その後、起きたことで わたしなりに受け取っている。

 




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