感覚を鈍らせすぎてはいけない.

去年、セッションで多かった悩みは

どう生きたいか?
誰と生きていきたいか?

だった。
既婚者含めてね。

離婚して本当に失くしてしまったら、
やはり元彼(元彼女)がいちばんだと思ったから
再度やり直そうと思って、向き合っています。。。

なんてこともあるし

セックスレス。
でも、このまま人生を終えたくないから
パートナーとも、自分のカラダとも、もう一度距離を縮めています。。。

も多かった。

家庭は壊したくないが、他にときめく人がいる。
このまま続けていいだろうか?

は、かなり・・・w

正直、難しく考える人が多いと思っている。

  • 自分のこと
  • 自分のカラダ
  • 自分の人生

だよ。

先延ばしにしても
避けようとしても
傷つかない方法を探そうとしても、

何も変わらないし
悩みが解決する日はやってこない。

自分の人生は犠牲にして
誰かや他のことを優先する!と決めているなら別だけどね。

もっと貪欲に自分にかまってあげたらいい。
どう生きたいか?は
一生、自分しか知らないのだ。

以前、ある女性の話を聞いた。

その女性は、
パートナーに(これみよがしに)浮気を知らされていると言う。

スマホは見えるように、
帰りは遅く、
扱いは適当。

「これは、どういう意味ですかね?」と聞くらしい。

わたしは思う。
なぜ、平気なフリをするのだろう???と。

こんな対応をされているのが
自分の子どもだったら
平気なフリしたまま、聞けるだろうか?

腸が煮えくり返る

という心境にならないだろうか?

わたしなら怒り狂うと思うね。心底悲しみもするだろうが。

傷ついた!なんて言う前に
胸ぐら掴んでるか、シャットアウトするか・・・
行動に出ているように思う。

後に頭が働き始めるという、原始的な性格でして^^;
(失敗も多々あるので勧めているワケではない)

何を感じるか?によって
これからどうしたいか?を自ずと知る。

平気なフリしたり、傷つくことを避けたりしている間は
自分の人生を捨てることと同じ。

結婚していて、パートナーが目の前にいて
「愛してる」と思えないなんて、鈍りすぎ。

自分も相手も適当に扱う人生を選んでいては
大切に想われる日なんてやってこない。

感覚を鈍らせすぎてはいけない

美味しい!と、日々食事を味わっているだろう。

それと同じように

楽しいことも、怒ることも、悲しむことも、傷つくことも、喜ぶことも
当たり前のように味わえることだし、人としての権利だとも思う。

感覚を鈍らせて、
どんな扱いを受けても平気なフリをするならば
周りも同じように感じて、適当に扱うだろう。

それは
わたしには
自分にむごい仕打ちをしているようにしか、、、見えない。

そして
感覚を鈍らせ始めると
カラダの痛い!というサインさえ、鈍ってもくるだろうと思う。

カラダ、、、錆びるよね。

本来の怒りや悲しみというものは、自分の中の情熱になる。

傷ついたとしても
悲しみ、凹みきったとしても
落ち込んで、やさぐれたとしても

感じきれるものならば
必ず消えない炎となって、自分の情熱に変わるだろう。

二度と自分にこんな想いをさせない
とは
どう生きたら良いだろう?を探り当ててくれる。

見えないけれど
決して消えることのない情熱という
行動するための勇気を
自分に宿してくれる。

自分を温める、大切にするって
そういうことじゃないかな。

何ごとも自分ごと。
真摯に向き合えばいい。




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