素直になることを拒んでいると、 自分自身を「さみしさ」で破滅させてしまう。

 
自分の方が、相手より「好き」なことが悔しい、
わたしより、相手の方がわたしを愛していてほしい、

奥さんの側にいても、わたしのことを愛していると言っていたのに、
わたしとは深くつながっているはず、

好きだけど、相手にされていないから、
ただ虜にしたい、夢中になってほしいだけ、

自分がいなくなったら気づいたらいい・・・

 
そんな言葉たちを
恋愛相談の中で聞くことは、少なくない。
 

とても我慢しているんだなと、
わたしは、ただ ただ 感じてきた。

何を我慢してるの?って
それは
愛すること、やさしくすることを。

自分にも、他人にも。
  

すべて、自分に起きた、自分のことなのに
相手を中心に置いた話になるのは
自分から離れてしまうこと。
 

わたしはそんな時
その人の心の奥に溜まってある「さみしさ」に呼ばれる気がしている。

あなたが
自分から離れずに
心からのやさしさに包まれたなら
その「さみしさ」は、少しは緩和されるんじゃないかと思う。 
 

 
相手の想いや思考を変えることや、
相手にこうなって欲しいと望むことを
恋では考えてしまいがちだけれど

それを考え出した途端に
心は自分から離れているんだよね。

それを悪いと言っているんじゃないけれど、
愛は、自分の心とともにある

だから、喜びを自分に取り戻すことができる。
 

 
わたしが
「さみしさ」に呼ばれる気がする、というのは、

恋が思うように実らない「さみしさ」ではなくて
その人自身が「抱えているさみしさ」に、いつも呼ばれている。

 
実は恋って、
自分の抱える「さみしさ」に気づかせるために始まり、

その「さみしさ」を、
誰かになんとかしてもらうのではなく、

自分の「愛する」喜びで
自分の「さみしさ」をも溶かしていくことだと
わたしは思っている。

 
だから
好きなのに素直になれない、とか
好きすぎてヤキモチ妬いて、やさしくなれない、とかは

自分の「さみしさ」をどんどん膨らませる行為だから、
愛のやさしさに、自分も相手も包む機会から離れてしまうのみ。

 
人生を
そのような時間で過ごしてしまうことに、

本当に生まれきた喜びを感じないままで、
本物の愛に触れないままでいいの?と
わたしは
心の奥の「さみしさ」に投げかけてしまいたくなる。

  
人に認めてもらいたい、とか
役に立ちたい、とかも

全然いいのだけど

「誰かのために」いてもたってもいられなくなって動く、
「誰かのために」強くなりたいと願う、

そのような愛の驚くほどのパワーで包むこと、包まれることを
この人生で感じなくていいの?と
さらに、投げかけてしまいたくなる。

今の経験が、必要だから起こっていると
わたし自身に言い聞かせることに必死にもなりながら。
 

 
素直になれないと、
彼(彼女)に抱きしめられた時の震える感覚や

抑えようとしても、抑えきれない舞い上がるような気持ちも
感じたことのない幸せも、味わえない。

たとえ別れることになったとしても
その胸の傷みも、
出逢ったから感じられる人生の大切な愛から生じているんだよね。

今はまだ、他の人と幸せになれると思えなくても、
愛し、愛される喜びを知っていれば

幸せを自ら望んだ時には
いつでもまた誰かを愛するし、愛されることを信頼できる。

 
愛する体験は特別なもので
人を立ち直ろうとさせることも、成せるひとつ。
 

素直になることを拒んでいると、
自分自身を「さみしさ」で破滅させてしまう。

 
「さみしさ」はあっていい。
いや、あるからこそ、愛の温もりに敏感になれる。

でもそれは
素直にならないために自分をガードするものではなく、

やさしさに包まれること、
愛を受け取る準備が整うためにあるもの。
 

わたしはずっとそう思っている。


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