自分も相手も、そのまわりの人たちも幸せにする関係性を育む

息子を溺愛する母、娘を溺愛する父っている。

わたしも親バカがひどい!という自覚はあるのだけど
「溺愛」とは一線を引いている。

子どもを「溺愛」してしまう親にありがちなのは
「パートナーとなりたい姿」を、子どもに無意識に求めてしまうこと。

言い方を変えると
「パートナーとなりたい姿」になれていないから
その寂しさを、努力しないでいい子どもに埋めてもらおうとする、、、
という感じ。

親バカも溺愛も、子どもという存在があるから
「親」という役割で関わらせてもらい、できること。

親子という絆は消えないけれど
どちらもが その役割から卒業する日はやってくる。自然にね。

その自然の流れに逆らうことが『溺愛』。
子どもは自分を生きることに罪悪感を感じ、親の望むように生きようとするか
親と精神的な決別を堅く決断して生きるか、、、

それは、大きな負担に成りかねない。

大人でも、
未だに「親との関係を望んだように愛されなかった」と傷を持つ人がいる。

どんなに離れて暮らしていても、年齢を重ねていても
心の奥に親を住まわしてしまうことは、
結果、傷を握りしめて過去に生きることになる。

卒業しよう、役割からは。
連鎖を止めて、次世代に繋がないでおこう。

それらはパートナーシップにも、子育てにも・・・
自分の人生にも 関わる人の人生にも 大きく影響するのだから。

これは自分で変えること。
誰も変えてはくれない。

 

 

わたしが以前、やらかしてしまったのは、
母という「役割」にいつしか身も心も注いでしまい、
気づいたらパートナーとの距離が離れてしまったこと。

母性はいい、自然に生まれるから。

何かの「役割」を忠実にやっていたとしても、
それは生まれきた本当の「役割」ではないから、終えるときはやってくる。

「この人とどんな関係になりたいのか?」
「どんな時間をふたりで過ごしたいのか?」 を考える自分

慣れてきた役割をやる自分は 全然違うんだよね。

それからは「女性として生きる」自分を探し始めたし、
存分に味わい、喜びを知ることも
「自分を生きる」ことだと感じるようになった。

「自分を生きる」の中には、女性としてだけじゃなく、母としても
いろんな自分がいていいと、楽しめるようにもなった。

 

 

親が 子どもにパートナーの質を求めれば
子どもは 答えようとする。

親が、ひとりの人 になれば
子どもも、ひとりの人間になる。

そうして、新たな関係性は再構築できる。

わたしが「女性として生きる自分」を存分に味わい、喜びを知れば
パートナーも 「男性として生きる自分」を味わい、喜ぶ。

パートナーシップでも、新たな関係性は築ける。

親のために、
パートナーのために、
誰かのために、
役割を持つ人って本当はすごくしんどいの。

わたしが「自分を生きる」ことが、まわりに影響を与えていく。
ということは
わたしが「自分を生きる」ことでしか、まわりに届くこともない。

そう思えたことで
わたしは自問自答することが増えました。

人には、生まれきた役割というか、使命ってあると思う。
だから、世の中でいいと言われている役割をやろうとせず、
自分のやりたいことを自問自答し、追求することが、使命を知ることだとも。

  

  

人は誰かと繋がりたい。

その繋がりを
どのような繋がりにしたいか?は、自分がデザインするもの。

「溺愛」は自分の思うようにしたい欲、
「役割」は役に立ちたい、認められたい欲。

「デザイン」は
自分も相手も、そのまわりの人たちも幸せにするもの。

わたしは「自分の人生」をデザインする。役割は担わずに。

 
 
 
 

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