「影響し合う仲」って、人生の彩り

どうしてブログが続くのか?という質問をよく受けるのだけども、ここ最近は全然ブログ更新ができていない。理由のひとつはこちらのコンテンツを日々更新しているからで、それで自分のブログの発信意欲がなくなったのではないけれど、ある意味どこかで発信していれば満足なのかもしれない。

ブログはわたしにとって日常であり、排泄のようなものである。日々の暮らしの「インプット(食べる)→アウトプット(排泄)」が自分の中でバランス良く取れていれば、わたしはそれだけで良いのかもしれない。

あとは個々のメッセが多くて、そこで恋愛の悩みや心のモヤモヤを投げかけられることがほぼ日常。メッセージとは言え、手を抜けない質だから、そこにもエネルギーを注ぎ、ブログまで辿り着かなくなってきた。だけどそれらは嫌なことじゃない。むしろ、今の自分を俯瞰して見れる周りの現象でもある。

毎日大きな変化はなくても、何もないワケじゃない。

人は毎日、小さな変化を重ねている。子ども達なんて、毎日なんらかの話題や出来事を持ち帰ってきては、あーだこーだと話し続ける。正直、静かにしてくれ!と言うこともあるが、小さな変化をわたしに投げてくることも、実はわたしの変化の一部になるのだ。

身近な人に起こる出来事を、他人事と片付けることはできない。
影響し合う仲なら、それはもう自分事なのだ。

 

 

距離が近いことを ウザいとか、嫌だとか、苦手だとか、よく聞くが、人間、本当にひとりだったり、適度な距離の人だけだと、可能性を伸ばしたり、変化が起こったり、成長したりしないのではないかと思うようになった。

それって、影響し合う人がいないじゃん!

ぐちゃぐちゃドロドロまではいかなくてもいいが、繋がり合って、時にこんがらかっていることが「影響し合う」と言うことではないだろうか。

少し前に、ある人からほぼ無視をされたことがある。気に入らないことがあったのだと思うのだけど、「え?大人やん?」と驚きはしたが、それに対してわたしの感情は動かず、「こうすべき」の強い人なんだなという印象が残っただけだった。まだ許容範囲じゃないだけで、それは影響し合う人が少ないのかもしれない。

 

大切にされているかどうか?って、相手の言動で見極めるものではなく
自分が自分を大切にしていれば、

誰がどう自分を扱ったとしても、さほど自分に影響はなく、
相手の言動は、相手が相手自身に与えているものなのである。

 

距離が近くなりすぎれば 嫌なところも見えてくるのは当たり前。共に過ごす過程の中では「わかり合えない」とか「好きになれない」とか、冷たい気持ちをあるタイミングでは言わなければいけない時もあって、距離を置く日々もあるのだけど、悲しませる方も、離れる方も、振る方も、なかなかにしんどかったりすると思うのね、経験上でも。

だけどもそれが真摯に向き合うことになるなら、ぶつからないで逃げて傷つくことがない変化のない日々よりも、温かさを感じる感度は増し、人に対して優しくも、大切にもよりでき、生きてる実感や幸せを感じる機会は多くなる。

繋がって、こんがらかって、絡み合う毎日は、小さな変化を積み重ねている毎日でもあり、それが幸せを紡いでいるということ。好きとか嫌い、傷ついたとか傷つけられたとかいう「感情」は、影響し合う仲においては、さほど重要なことではない。

 

  

なにより「影響し合う仲」って、人生の彩りである。

影響し合い、関わってくださるみなさま、
いつもLOVESPIにきてくださりありがとうございます。感謝しています!

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