私が物心ついた頃には
父は入退院を繰り返し
母が懸命に昼夜なく働いていた。
なので母に対して
話しを聴いて欲しいなんて言うことも出来ず
ただ毎日を過ごしてきた。
だけどいつも心には
『お母さんにだけは心配をかけたくない』と
思ってきた。
好きな様に過ごさせてもらってもいたんだけど(オイッ)
きっと母なりに
普通の子の様にさせたいと考えてくれていたんだろうと
今なら解る。
夜に母がいない事に関して
『寂しい』と思った事はなかった。
きっと姉が居たからだと思うし
母はそう感じさせない愛情を送り続けてくれていたんだとも思う。
満足は出来てなかったけども
(当時を振り返れば)
私が送る発信は捉えていてくれたのね、きっと。
そんな風に育った私も
今
子ども達3人を育てていて
思うことがある。
どんなに時間がなくても
合う時間がすれ違っていても
伝えたい事
子どもの発信に気付く事
受け止める気持ち
が
あれば
子どもには伝わっていくのではないかと・・・
逆に
どれだけ同じ時間を過ごしていても
そこがバラバラであれば
子どもは自分を肯定出来ないのではないかと・・・
思春期を迎えた長男君の話しを聴いていたら
そこの掛け違いが
大きく左右するのではないかと
常々感じてしまう。
成績や個性へのジャッジではなくて
あなたは成長しているという
そのものへの気付きだけで
ただそれだけでいいのではないかと感じる。
だって
私が一番気付いて欲しくて
見て欲しかったことは
それだけだったと思うから。
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