にもありますが
アタシは超オテンバ娘でして、親に言ってないコト、見つかってないコトも
たくさんやらかしている自由人でした・笑
へびとか捕まえて振り回してましたからね
雨蛙、ざりがに、めだか、おたまじゃくし、石も集めるのが趣味でしたからね
何でも臭ってまして、大失敗もたくさんありますからね(ここで言えない)
どんだけ紙を食べれるか?とガムの紙をちぎって食べてましたからね
近所の家のグミを盗み食いしてましたからね
自転車ごと川に飛び込みましたからね
急な坂を(自転車で)猛スピードで降りて、こけて何回転もしましたからね
花と話すのは日課でしたからね
理不尽だと思ったら、ガラス割ってでも血がダラダラ出ても文句言ってましたからね
、、、、、、、、(遠い昔)
そりゃ、遊ぶコトしか考えてないんで小3くらいまでは、どない?と思うほどの成績。
そこは全く気にもならず、そんなコトを考えてる暇があるなら遊ぶ!だけの人でした。
母はきっちりとした姉とあまりにも違うそんなアタシを
生きてる、元気だからと言っていたそうです。
そんな様子も知らないくらい遊んでましたからね・笑
それでも、いき過ぎで怒られるコトもありました。。。
親が怒っても
『そりゃ怒るだろうなー』と、本人ですら思っていました。
だってね、ケガするまで無茶するし、帰って来なかったりするし
ジブンで痛みや失敗を覚えないと学べない子だったので。
『良い子になりたい』、『褒められたい』、『親の愛情が欲しい』などは
考えもしませんでした。
何度も言うけど、そんなコトに頭回らないほど、毎日の遊びに夢中だった、、、
そもそも、親と違う人間なのに
なんで親の考えをジブンの考えより中心に置かなきゃなんないの?と思っていました。
(これが強みの客観視です)
だけども今思えば
母はアタシの知らない所で頭を下げていたと思います。
よくよく思い出せば『うちのマサミがいつもすみません』と言っていたような気がする。
それすらなんのこっちゃ?で気にかけてもなかった・笑
世間的な部分は親が守ってくれていたのかもしれません。
そして今
現在の子育ては便利だけども、子どもの自由が少ないような気がします。
手が行き届くし、情報が沢山ある(これが子育ての正解みたいな)からね。
悪いとかではなく。
アタシ自身、ママ友に言われたりもします。
『もっとちゃんと見た方がいいと思うよ~』とも。
その言葉も一つの投げかけとして受け入れます。
だけどね
まんまを延ばすのも子育てだとアタシは思っていて
『ちゃんと』は誰が決めた『ちゃんと』な子育てなのか、教えて欲しいし
そこを知るために
ジブンの子育ての形を創っているのです。
形は子ども達と創っていくモノだと、ね。
そんなアタシ流育みの話を記事に、、、というリクエストを頂いているので
スットンキョーなりんごろドタバタ育児について
書いていきま~す☆
よろしくお願いいたしマス
ろ
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