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今そう言うと
飯島愛さんの事が浮かぶ方が多いのでは
ないかと思う。

確かにお一人で亡くなられてしまったし
誰かが気付いてあげれたのではないかと
悼む気持ちから
『孤独死』は悲しい事と受けてしまうかもと感じる。

ただ私は何となく思う。

人は生きてこの世に生を受けてから
死は免れない事で
その死に方を
自分の思う様にはそう出来ないのではないかと・・・

家族に見守られて亡くなっても
本人に意識がなければ
言葉をかけられたと思えるかどうか・・・
キレイにサヨナラを言えて
別れられるのってそうないのではと感じる。

人は生きてる最後のその瞬間まで
『死にたい』『別れ』なんて
そうは思わないものかもしれない。

『ありがとう』や『愛してる』とは思ったとしても。

そして亡くなった本人はどうなんだろうか?
病気だった方も
突然の別れだった方も・・・
死のその時に
間に合わなかった家族に対して
『なんで?』なんて思うだろうか?

残してしまう人に
そんな風にはならないのではないかって
思う。

生前に
沢山の人に囲まれ
心にまで残る大事なものを与えてくれた方は
やはり残る人の幸せを願うのではないだろうか・・・

そんな誰にも愛されただろう飯島愛さんは
誰かに頼りたい気持ちはあったかもしれないが
頼りっきりになる事を望まない
心から誰かを大事にしたい
愛したい人では
なかったのではと思ってしまう。

頼ってしまえば良かったのに
それをあえてしない
誰かに助けられたい事を
望んではいても
そうしようとはしなかった方だった様な気がしてしまう。

だから
『孤独死』とただ耳に入ってきても
悲しい事とは一概に言えないとも
思う様になってしまった。

私の母は
13年間一人で過ごしてきた。
亡くなるその瞬間には
間に合ったけど
やはり
何か気付いてあげる事も出来たのではないかと
悔やみもした。

だけど
誰に対しても
謙虚で
自分を出して『こうして欲しい』なんて
どんな時も
言わなかった母は
最後もこんな風にしか
別れられなかったのではないかと感じた・・・
意識があって
子どもや孫達に囲まれてしまっては
残していく事に
申し訳なさを感じてしまう様な
私の勝手なんだけど
母ならそう感じただろうと
思わずには
いられなかった。

愛すべく人に
別れを言う事程
相手の気持ちを察する事が出来る人にとっては
辛く、張り裂けそうなものはないんじゃあないかって。

そんな人の去り方だったのかもと
私は思いました。

だけど
最後の別れより
どれだけ人の心に残ったかが
大事なんだと
私は
思います。

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