弱音を吐いたら壊れそうだったから、吐けなかった頃

昨晩次男坊から
「母さんは責めたり、うるさく言ったり、言い訳したりせぇへんな」
と言われて気づく、
自分の歩いてきた道。

子どもたちが小さな頃は、
その日を過ごすことで精一杯で
誰かに何かを聞いてほしいと思う時間も余裕もなく、
ーヒー1杯をゆっくり飲む方が重要だった。

わたしが一家の大黒柱だから(そうなるだろうと思っていた時から)
振っていただいたお仕事はすべて受けさせてもらってきた。

やった方がいいと言われたこともやってきた
ランチ会、お茶会、飲み会までも。

自分のスケジュールに振り回されることも多くなり、
子どもたちと十分に過ごせているのだろうか?と
罪悪感で心が潰れそうになることも多々あった。
体が元気なうちに頑張っておかなくちゃ!という
気合いで自分を奮い立たせていたようにも思う。

ずいぶん前から決まっていた出張と
運動会が重なった時の娘の落胆ぶり、
そして
「そんなことしなくてもお金もらって生きてるでしょ?」
と言われたり、思わたりすることの間にいた時は、
母として子どもの側にいることが大事かも、、、と、
それはそれはたくさん悩みました。

元パートナーとうまくいかなかったことでも、
どれだけ自分を責めたかわからない。

子どもたちから大切なものを奪ってしまったのはわたしなんじゃないか?
わたしが根源なんじゃないか?と。

彼にも、
わたしじゃなかったら、
この人はもっと幸せになれたのかもしれないとも何度思ったことか。

両親は他界してるから頼る実家もないし、
何故それでもこの道を進もうとするのか?と
周りに言われることも、飽きられることもしばしば。

それでも自分を信じて、
自分の育て方も大丈夫と励ましながら働くことも生きることも選択してきた。

選択しているのは自分だとわかっていたから、
言い訳は出なかった、というか、
ただただ正直に生きる自分と、社会と繋がる姿を
「人の生き方」として子どもたちに見せることが
自分のやれることだとも思ってきた。

母を亡くした時に、母のそれまで書いていた日記を見た。
母をひとりの女性として初めて見て、
こんなことを感じてきたんだな、と思えたことは、
自分の励ましにもなった。
だからわたしもBlogを書き続けているとも言える。

自分のことと仕事、子育てのバランスがとれるようになったここ何年かで、
思えば子どもたちは大きく成長していた

「母さんの子どもでよかったよ」なんて、
フツーの会話に盛り込んできたりするもんだから、
思いがけず泣きそうになったり(いや、涙してる)、

毎日の中に幸せを感じさせてくれる場面が
必ずあることに心から感謝を感じている

寄り添ってきて良かったなー!
やってきたことで自分をあんなに責めることもなかったなーと今は思う。

時間的な余裕も感じられ、
一緒にいる時間もとれるようになった今、、、

子どもたちは自立していく。。。という、
なんとも人生はわたしにいろんなことを教えてくれますな
と感じる一方で、

自分の人生をまるっと愛する時間がきたことにも、
これまでにも、
とても愛情を感じる。

そして人生はあっと言う間だとも。
来月には長男は22歳。
この22年は早かった!と思うということは、
これからの22年はもっと早く感じるだろう

丁寧に、正直に、愛でて過ごしたいと心から思う。
これまでもやってきたけれど、それ以上に。

というたまにはの吐露。




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