優しさを見せつけ合う

人々が時間に追われながら行き交う中
温かくなった体温と、少し冷たい風を感じながら
いつものようにヘッドフォンをつけ
音楽に頭を委ねていた、昨日のヨガの帰り道、

ミスチルのSignという曲のフレーズが残った。

たまに無頓着な言葉で汚し合って
互いの未熟さに嫌気がさす
でもいつかは裸になり甘い体温に触れて
優しさを見せつけ合う

似てるけどどこか違う だけど同じ匂い
身体でも心でもなく 愛している

優しさについて。

優しさ

優しくする

ってどこか違う。

わたしは感受性が強く、そして同時に客観性も持っているので
視点が感情だけに留まることは少ない。

で、思うことがある。

「優しくしてくれているな、今」と。

その行為にも、真剣に向き合うけども
感謝を表すときは、
ハートから伝えるというよりは
頭で考えて言葉になるというような反応が出ることがあった。

ここに違和感を自分で感じていたのだけどね、これまで。

人には、こういったときには こうすべきだ、という理想やイメージがあって
それは環境や、教えられてきたことでもあると思うのだけれど

実際にこういったときには こうすべきだ、を行動にすることは
優しくする、ことなんだとも思う。

親が、親らしいことをしていて
例えばそれが、受験で自分を心底心配してくれていることだったり・・・
ってよくある。

でも、わたしは実際に
受験するのはわたし自身で、勉強をするのもわたし。
そこに心配や親のドギマギ、
ましてや親の願う進学先などを向けられるのは荷が重いなと思っていた。

親だから気にかけてくれる、ということは「優しくする」で
優しさならこの場合、
心から信頼して応援する気持ちを親本人が持っていること、で
それを押しつけもせずに、ただただそこに居てくれることだと感じていた。

でも、気にかけてくれていることも知っていた。
だから感謝は伝えていたと思う。

親だから、上司だから、年上だからって
それはある意味役割的で
そこには未熟さもある。

人間を何年やってたって完璧じゃないし
それが役割だとしたら、長くてもウン十年でも未熟なのだ・笑

だからこそ、未熟さをも自分で受けとめて、
互いに違う人間だから どんなに長く過ごしていようとも
時間をどれだけかけてきたとしても、
知らないことも、理解できないこともあって、
自分が良いと思っていても、相手にも良いと思う感性があって
一致するとは限らなくて、

だけどもすべてをひっくるめて
目で、ハートで、自分全部で真剣に感じることを
尊ぶ、や 愛おしむと言ったりするんじゃないかと
わたしは思う。

そこがベースにあることが
優しさを溢れさせるのだとも。

優しさ

こうするからこうして
みたいな交換からじゃなくて

愛することを
見せつけ合うことかもしれないね。

それは
時間に追われながら行き交う中にあるのではなく
時間をとめるように互いのハートを確かめ合うことのようにも感じる。

 

 

りんごろてきつぶやき。








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Love Moderator(恋愛心理カウンセラー) 人生に『恋』し、自分を『愛』でる。 自ら輝き、周りもキラキラ溢れるセカイに。 生き方、喜び、美しさ、感性、センスを引き出し、 正直に生きるためのセッション、ワークショップ、講座を実施しています。