枠を超えていくということは

 

今、平井堅くんのアルバム↓をヘビロテ中。

「魔法って言っていいかな」
「僕の心をつくってよ」
「ノンフィクション」
という曲たちを続けて聴いて思った。

この曲たちはわたしにとって、
どちらかと言うと悲しみの方にフォーカスしちゃうな、と。

悲しみだって喜びと同じく
生きてるから感じられることであって

感情のどれも
良し悪しなんてなくて

全然楽しくもない日々も過ごしていたり、
泣き尽くしていた日々もあったりするわけで、

むくわれないなーなんて、ぼやきたい日もあるわけで。

笑うってどうやるの?と
心が晴れない日が続いたこともあったし、

それでも
浮上してくる自分もいて。

自分なりに
道をつくっているんだなと思うのだよね。

ここ数年の間、
わたしは言われた言葉を握りしめていることに気づいていた。

それも「言われてイヤだった言葉」を。

だからなんだろうけど
イヤな思い出の方が蘇ることが多くて
自分から苦しもうとしている気がしてならなくて

そんな自分とお別れした。

執着している自分を心底イヤになったから。

その時に知ったんだよね。。。
執着とは、自分の枠の最後のフチだなと。

心底イヤになると
頭がおかしくなるというか、、、w
適切な言葉を使うと、思考が反転する。

それが
これまでの思考の枠を超えていこうとする瞬間だと思う。

さんざん苦しんで、味わって、感じて、考えて、
わたしの頭の中では、
ひとつの捉え方しかできなかったから、執着になった。

頭で考えすぎると、そもそも「言われてイヤだった言葉」って、
イヤと思う必要があるのか?にもなってくるから、自分でも不思議。

その時は確かにイヤなんだけども、
それなら「イヤな気持ちだ」と言えばいいのであって
握りしめて、どんどん怒りまで乗せちゃって
自分のエネルギーを費やすほどのことだったのか?と思ったのである。

自分の枠を超えるとは
過去に奪われていたわたしのエネルギーが
現在に還ってくることでもあり、

同じような出来事がこれから起こったとしても
もう、わたしを苦しめることはないということなのだ。


そして
わたしのハートは優しい気持ちに戻っていく。

握りしめていたスペースが空いたので
余裕もできた。

そこには、自分を喜ばせることを積んでいきたいと
これも心底思うようになった。

悲しみを感じることを避けようとはしない。
そこには
わたしだから見出すことのできる大切なことがあるとも知ったから。

枠を超えていくということは
悲しみやイヤな出来事を感じるようなこともあるが
確実にセカイは広がる。

今までとは同じでいれないけれど、
離れるチカラと愛を持ち
可能性を広げていくということだとも思う。








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