愛し方は生き方〜my own way to love〜

よく思う。
子ども達はわたしを癒やすために生まれてきたのだろう、と。

頭を使って考える
わたしは親で、彼等がオトナになるまで育てていかなければ!という
責任や義務を感じないワケではない。

ハートで感じれば
必要だから巡り合っているのだとわたしは思っている。

だから親子だとしても
わたしの方がハート年齢は下なんだろうなーと思うことは、多々ある。

そう感じてみると
人間の関係性とは、
ハート年齢で成り立っているんじゃないだろうか?とわたしは思う。

思えば母は、姉をとても信頼していて
姉に何でも相談していた。

実際には、姉は母の娘であるけども
幼少の頃から母の「お母さん」のように
わたしから見たら感じることも、よくあった。

今、ママ友を見ていても
息子をパートナーにしているな、と思うこともよくある。

母娘で旦那さん(パートナー)を奪い合ってもいたり、、、とか。

ひとりの人間が、実はいろんな役割を担っていたり
役割を奪ったり、破棄したり、、、

家族の中で愛に枯渇した人は、外に愛を求めたり、
部下を統率することで、満たされようとしたり、
子どもを愛することで、ハートを溢れさせようとしたり、
学ぶことで、自分の物足りなさを埋めようとしたり、
仕事で成果を出すことで達成感を得て、自分を知らしめ、愛を求めたり。

それもこれも
愛という温もりを探し求めた結果なんだろうと思うし、

それほど人は、
愛をただただ欲してしまうのだろうとも思う。

愛というものが何か?ということに目を向けようとはせずに。

一生のうち、人が受けとる愛と与える愛の量があるとするなら
その量は、実はそんなに変わらないのではないか?とわたしは思っている。

親に愛を与えられることの少なかった人は
他の誰かからいただくことが多かったり、
見えない力に守られていたり、、、ね♡

それらを感じることができるかどうか?
なのではないかな。

愛というものが何か?を知るには
実際に受けとってみなければ、感じることもできない。

のだが、

人は与えたら・・・
誰かの期待に応えたら、認められたら・・・
愛をいただけると学習する。

だから必死で愛を乞う。

でも、愛は乞うものだろうか?

わたしはそこに不自然さを感じてしまう。。。

チョコも食べてみなければ
そのチョコがどんな味なのかは、分からない。

愛もそうだ。
感じてみないと。

そしてどんな愛が自分には安らぐのか、
それは自分にしか分からない。

ハート年齢。

たとえ親子が逆であろうと
上司と部下が反対であろうと
男だけが女を守ると思い込まなくても

どんな役割であろうとも

目の前の人に真摯であること。

それが愛を生み、育んでいくのではないかと
今のわたしは感じている。

 

RADWIMPSの歌の歌詞にある。

愛し方さえも 君の匂いがした
歩き方さえも その笑い声がした

愛し方とは、生き方なのかもしれないと
ふと思って書いた今日のBlog。

 




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