自分のまわりにいる人が、自分の意識を見せてくれる

自分のまわりにいる人は、自分の精神レベルに応じた人が集まる。
そう聞いたことをふと思い出した。

類は友を呼ぶ、だよね。

こんな人と仲良くなりたい、知り合いたい、深め合いたい
そんな風に思うだけで
その人たちと何故か距離が近くなったり、
連絡がきたり、
「○○さんが気にかけてたよ!」等と聞いたりするから
意識ってすごいなと思う。

流れは必然だな、とも。

自分で叶えているんだよね!
今の現実を。

コミュニケーションで
相手に対して本気で腹を立てていることがある時は
それは同じレベルだから。

意識が変われば
考え方が違うな、と感じるだけで終わったり、
なんとも感じなくなったり、
冷静に伝えることもできる。

イヤな言動に左右されなくなるので、
自然に縁遠くもなる。

関係性は続いていても
深め方、付き合い方は変わり、

苦手な部分が見えても、
自分とは関係のないことだと意識的に感じるので
エネルギーさえ自然にスルーされ、縁は深まらなくなる。

誰かに怒りや悲しみがまだ残っている間は
そこから離れたくないと言うことなんだよね!自分が。

出来事を許せない自分がまだいる場合、
過去に怒りや悲しみを残しているということ。

過去に残してあるというのは
過去にエネルギーを置いていることなので
現在に体はあっても
意識は過去と繋がり、過去を生きるということ。

それは
怒りや悲しみをベースとして生きること。

類は友を呼ぶのだから
そのようなエネルギーを持つ人たちの中で生きることになる。

苦しさは変わらないかも。

まわりにいる人たちは、自分を表してくれる。

変容のとき、
人間関係も環境もごっそり変わってしまうのは、
意識が変わるから。

「これまで」を採用しなくなったということ。

人間関係が変わっても、同じようなことが起きる場合は
意識は変わっていないということ。
これらは変容ではない。

親がこうしてくれなかったから・・・
という悲しみを今に持ち越している人も少なくはない。

怒りや悲しみ、その感情を持つ自分もまるっと受け入れて
本当はどうなりたかったからその感情がわいたのだろう?

なりたかった方を大切にし、
それらを自分へのメッセージに変えることから
意識は変えられる。

昨日、久しぶりにグランド花月で吉本新喜劇を観た。
涙を流しながら笑い、
芸人さんたちの素晴らしさを真剣に語る友を
素直な人だなぁと心から感じた。

そして
そんな人が側にいることが なんとも嬉しく心地よい。




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