「相手は鏡」ではないとき。

相手は鏡

「相手は鏡」とよく聞くし、
そう思うこともよくある。

子どもを見ていて
しんどそうなとき、

この子が自分のすべてを使って
わたしに「わたし」を見せてくれているとするならば?

とよく考える。

そしてそれはほぼ当たっていると思っている。

が、見せてくれている とは違うと感じることがある。

「相手は鏡」ではないとき

それは

その「出来事」の気づきを自分なりに得て、
自分の信念を、愛をもって伝えられるとき

目の前の相手は
わたしの中に同じものを感じているから引き寄せた
とは思っているが

同じときに
同じことを共感も共有もできない場合

自分も同じことで苦しんだ過去を思いながら
愛をもって
たとえ厳しい言葉と感じられたとしても、伝える。

子どもたちだったら「嫌われるかも」なんて考えずに
わたしが伝えられることは伝える。

それと変わらない。

自分を見てもらう

愛をもって伝えられることを
伝えたら

あとは
余計なことも言わない。

心は寄り添わせ
アドバイスはせず、
「わかるよー」等と同情もせず。

本音で関わり続ける。

あとは自分の在り方で感じてもらう、しかないかなと。

子どもたちに
わたしの姿を見てもらうしかないように

それと変わらず。

相手は鏡ではないとき。
それは
自分の信念を、愛をもって伝えるとき

伝えることが
今の自分が「やること」なのである。




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